Game Changers of Japan: ユアマイスター株式会社 CEO 星野貴之 -急死に一生の病からの復帰により、その後の人生を大きく変えた
Short Biography :2010年 慶應義塾大学経済学部卒業。2010年 楽天株式会社入社、楽天にて日本国内全国営業成績トップになり、最年少役員候補に選出2016年 独立し、ユアマイスター株式会社を起業。現在ユアマイスター株式会社 代表取締役として活躍中。
価値観の大転換
星野さんは、慶應義塾大学で学生生活を送り、テニス部のキャプテンとして部を引っ張っていく、そんな人だった。それなりに充実した学生生活を送っていたが、大学4年の時に命に関わる大きな病気になる。そこから生活は一変し、治療を受けなければならず、生死をさまようことは、これまでに味わったことのない恐怖だったそうだ。死と隣り合わせという中でも、なんとか一生懸命耐え、病気から回復することに成功。そんな星野さんは、この経験をこう語っている。「それまで自分が生きてきた20年分の概念を全て変えることになりました。治療中には、たくさんの本を読み、いろいろな考え方にふれることができたので、今までの自分を見つめ直す時間ができたので良かったです。」この時に星野さんは、「命の有限性」を痛感し、全ての行動を変えたと言う。
星野さんは、幼い時から政治家になることを熱望していた。そのため、まず衆議院でインターンをすることで積極的に政治に関わろうと行動する。この経験から、政治についての理解がより深まり、いきなり政治家を目指すのではなく、会社で働いて経験を積むことが必要だと考えるようになり、楽天への就職を決断した。星野さんは、楽天は年功序列がなく、短期的に自分自身が大きく成長でき、社会経験を積むのに最も適した環境であると確信した。

楽天時代での様々な経験・大きな気付き
新卒入社した頃、星野さんは、社長や役員と近い距離で働く財務部門に配属され、様々な実務経験を積み重ねた。「雑用でも、生き生きとした人たちと働けたのでとても楽しかった。さらに、そんな人たちから吸収するものは大きかった」と星野さんは語っている。しかし、そんな星野さんはこの部署ではあまり活躍できず、九州の方へ営業として異動することになり、歯を食いしばりながらも九州で一生懸命働いた。しかし、九州とは言っても、その市場は大きく、当時、楽天が提供するインターネットショッピングで成長している会社は、いくつもあった。そこには若者が都市でテクノロジーを学んできて、九州に戻り、会社を立て直していたという背景があった。成長をしているたくさんの会社が、社会に大きな影響を与えている光景を目の当たりにした星野さんは、「ビジネス」で世界を変える可能性を見いだした。実際に、星野さんが担当した会社が上場することも多々あり、その影響は大きかったそうだ。そのように考え始めてから、一段と一生懸命働くようになった星野さんは、九州で働いて3年目になる時には、全楽天社員の中でトップの営業成績を記録した。そんな時に丁度、役員候補となるという話を持ちかけられ、東京の本社へのリベンジを心に誓った。そんな彼は、役員候補として最少年だった。
新しい部署での新しい挑戦
一度、東京から九州に異動となった星野さんは、この出来事に対して、「自分が認められてすごく嬉しかった。」と語っている。当時の楽天では、役員が120人程度いたが、新卒入社した役員は誰もいなかったそうだ。そのような中で、下からの押し上げを重要視した楽天の社長は、新卒入社で活躍している社員に役員になってもらうよう育成すべく、全国から5人の社員を集めた。その5人のうちの1人が星野さんだった。また楽天では、社内公用言語を英語にする動きがあり、営業ができても、英語ができないとダメだと星野さんは考え、必死で英語を勉強したそうだ。ここで星野さんは、英語ができることにより、世界の見方が大きく変わったので、英語の重要性を認識したという。また、役員になるには、財務関係やIRについての知識が必要になるため、まずIRで働くことになった。そして、IRで働いて3年になる頃には、部下を40人ほど持つことになり、プレッシャーの中でも、責任を持って働いたそうだ。しかし、ここではチームをまとめることは非常に難しく、あまり上手くチームをまとめられなかった。そんな中だからこそ、期待に答えるため何かできないかと模索し始めた。当時の楽天では、新入社員がやめていく傾向があり、その問題を解決するために、自分から動き出してリーダーになり、役員や人事部と掛け合い、問題解決に乗り出した。
IRとして働く中では、星野さんは株主対応や投資家決算を担当する。「楽天は、銀行に勤めていた人たちで立ち上げられたので、財務戦略がとても素晴らしい」と星野さんは言う。そこでは、やはり、(将来役員になる予定の)27歳の若手が職務経験が豊富な重役と共に働くので、それなりのプレッシャーがあったが、つらい時も星野さんは耐えた。それでも、一生懸命食らいついて、社長や副社長の隣で財務関係を学んだそうだ。星野さんは、自分のバリューを発揮するために、自分のできることを考えた。星野さんは、企業に育てられる側の人間で、たくさんのことを学びながらも、組織の活性化や会社に対して積極的に意見を言うことで貢献するのが自分のバリューだと考え、行動へとつなげた。

起業家として新たな挑戦
ある日、星野さんは、社長たちとイギリスのチャイニーズレストランでご飯を食べる機会があった。社長をみていると、ものすごい秀才というわけでなはいし、場面によっては緊張しやすいタイプの人だった。しかし、社長は「人を集める力」がすごく長けていると痛感したと言う。社長の周りには、国内外の名門大学出身ですごく優秀な人がたくさん集まっていた。星野さんは、そんな楽天の社長を超えたかったので、このまま楽天で働いていてはいけないと感じるようになった。そこで、星野さんは、成長できるいろいろな方法を模索した。もちろん、転職も考えたが、楽天の社長しか知らない星野さんは、彼以上の社長を見つけることがどうしてもできなかった。転職エージェントとも相談をしたが、楽天以外のトップ企業でも彼と同じような社長はいるが、彼を超える社長は、日本にはいないという結論にいたった。そんな時に、転職エージェントの紹介で、現在のユアマイスターの出資団体であるインキュベイトファンドと出会う。星野さんは、インキュベイトファンドの人たちとディスカッションしていると、星野さんのやるビジネスであれば「1億円出資する」と背中を押され、起業することを提案された。正直、星野さんは、起業は怖いと思っていて、人生の中で一度も「起業」という選択肢を考えたことはなかった。しかし、せっかくもらった機会なので、新たなステージに挑戦するために起業を決意した。

CEOとして働く中で
『楽天時代とは異なり、今は自分がCEOとして会社を動かしているので「知らないことが多すぎる」という問題にぶつかることが多々あります。会社を上場するために何が必要なのか?や監査役ってそもそも何?などたくさんあります。
でも逆に、楽天の時に比べてよかったことは「スピード感が早い」ことです。楽天は、すごく大きな会社だったので、考えたことや良いと思ったことをすぐに実行に移すことは難しいです。今は、自分たちで決めたことを比較的に早く遂行できます。しかも、ユアマイスターようなスタートアップでは、メンバー個人の裁量は大きく、影響力は強く直接結果に現れることが多いです。一方で、大手企業は、成長のために準備されているリソースが豊富という利点はあります。
私は、そのような理想的な環境を会社とメンバーの未来のために目指しつつ、協力者集めや良いチームを作ることをCEOとして意識して行動しています。』

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